大判例

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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)511号 判決

原告 正木ひろし

被告 弘津恭輔

主文

一、被告は、原告のため、月刊雑誌中央公論に、九ポイント活字を使用し、広告として、左記文言を、一回掲載せよ。

謝罪広告

私は、九州管区警察局長在職中、中央公論昭和三二年七月号に「菅生事件と警察の立場-私も公判を傍聴した-」と題する文章を寄稿掲載いたしましたが、その中に、貴殿に関し、事実を無視して非難する箇所があり、多大の迷惑をかけました。

右につき、ここに謝罪いたします。

弘津恭輔

弁護士 正木ひろし殿

二、被告は、原告に対し、三万円の支払をせよ。

三、原告その余の各請求を、棄却する。

四、訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立てた裁判

一、原告

(一)  被告は、原告のため、月刊雑誌中央公論ならびに日刊紙朝日新聞(全国版)、同毎日新聞(全国版)、および同西日本新聞の各社会面に、見出しに三倍活字、本文に一、五倍活字記名、宛名およびその肩書に二倍活字を使用して、左記文言を、各一回掲載せよ。

謝罪広告

私は九州管区警察局長在職中、中央公論昭和三二年七月号に「菅生事件と警察の立場-私も公判を傍聴した-」と題する文章を寄稿掲載いたしましたが、その中に、貴殿に関し、事実を無視して非難する箇所があり、多大の迷惑をかけました

右につき、ここに謝罪いたします。

弘津恭輔

弁護士 正木ひろし殿

二、被告は、原告に対し、金一一万円の支払をせよ。

三、訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決。

二、被告

(一)  原告の各請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決。

第二、請求原因

一、(1)  原告は、大正一一年東京帝国大学法学部法律科を卒業し千葉県、長野県および東京都等で中学校の教師をしていたが昭和五年頃から、東京都内で弁護士を開業し、かたがた、当時の東京薬学専門学校の講師となつた。昭和一四年頃、同校の講師をやめたが、終戦後、それが東京薬科大学となつたとき、再び同校の講師となつて、昭和三〇年迄在職し、その後は、専修大学の講師となつて、現在に及んでいる。

一方、昭和のはじめ頃から、各種の新聞、雑誌に筆をとり、昭和一〇年代には東京都内で発行される大新聞、大雑誌に時事評論の筆をとるようになつたが、昭和一二年四月頃からはさらに月刊雑誌「近きより」を発行し、その読者は、平均五、〇〇〇人以上に達した。昭和二〇年五月に、東京都内の事務所を兼ねた住宅が、戦災で焼失したので、千葉県臼井町に居を移したが、ここでも千葉新聞の論説委員となつて、同紙に寄稿したほか、各種の新聞雑誌に執筆し、昭和二四年に東京に帰つてからも、執筆活動を続けている。

かようにして、原告は主として、筆をとることによつて生活を支えているが、弁護士としても、戦後いわゆるプラカード事件、三鷹事件、チヤタレー事件、八海事件等、著名な刑事事件の弁護人を相次いで担当し、近くは、福岡高等裁判所で審理せられた、同裁判所昭和三〇年(う)第一、九二五号ないし第一九三二号被告人後藤秀生ほか四名に対する爆発物取締罰則違反、殺人未遂等被告事件、いわゆる菅生事件(以下単に菅生事件という。)の弁護人を勤めた。

(2)  被告は永く警察官を勤め、昭和三二年一月から、昭和三三年九月まで、九州管区警察局長であり、現在は、公安調査庁調査第一部長である。

二、(1)  被告は、九州管区警察局長在職中、中央公論社に「菅生事件と警察の立場-私も菅生事件を傍聴した-」と題する論文(以下本件論文という)を寄稿し、同論文は、同社の昭和三二年六月一〇日発行にかかる月刊雑誌中央公論同年七月号に掲載せられた。その中には、原告が菅生事件公判廷において、戸高公徳に対して証人尋問を行つたことに関して、次のような記載がある。

「中野氏(中野好夫を指す)は、弁護団側が、戸高証言そのものの信憑性を覆すために、戸高氏(証人戸高公徳をさす)の共産党入党申込書を持ち出して、戸高氏が非常にウソをつく男、とりわけ職務上の必要のためには、ウソをついてもよいと信じている男であることを立証したのは、成功だつたというが、私の印象はちがう。

この尋問をしたのは、正木ひろし弁護人だつたが、そのやり方は、ソフイストの詭弁術ともいうべきもので、共産党入党申込書を出したという事実について、『この本籍はウソだろう。この名前もウソだろう。……』という工合に、入党申込書そのものが、真意に基づくものでないという実質的には一度ですむ証言のかわりに、その一項目づつについて、一々『ウソです』と何回も何回も認めさせ、『ウソです』という証言の回数を多く得て行くことによつて、『君は何てウソつきなんだ』ときめつけ、証人の人格を傷つけることによつて、証言全体の信憑性を崩してゆこうとするものだつた。私は『なるほど正木さんらしいやり方だ』と感心したものである。しかし私が感心したのは、こういう詭弁学派(ソフイスト)的な、形式論理の言葉のやりとりの巧さであつて、決して真実を究めてゆく迫真力ではなかつた。」

(2)  しかしながら、原告は、右に記載したような尋問をしたことはない。右にいうような、共産党入党申込書を示して、この尋問をしたのは、菅生事件の主任弁護人清源敏孝であつたが、被告は、この尋問の行われた昭和三二年四月二四日の公判を傍聴して、この事実を十分に知つていながら、故意、又は少くとも過失によつて、言論界にもネームヴアリユーのある原告を、同人にすりかえ、事実を曲げて、本件論文を発表したものであり、これによつて、原告の名誉は、著しく傷つけられた。

三、原告は、前述のとおりの経歴、職業を有し、その名誉を回復するためには、被告に本件論文が誤りであることを認めさせ、かつ、これについて、原告に謝意を表する広告を、中央公論、朝日新聞(全国版)、毎日新聞(全国版)および西日本新聞に、それぞれ、各一回、掲載することが最善の方法であり、その精神的打撃に対する慰藉料は、一一万円が相当であると考える。

よつて原告は、被告に対し第一、の一、記載のとおりの判決を求める。

第三、請求原因に対する被告の答弁および抗弁

一、請求原因一、の(1) のうち、原告が、大正一一年東京帝国大学法学部法律科を卒業したこと、原告が昭和五年頃から都内で弁護士を開業したこと、及び原告が福岡高等裁判所における、いわゆる菅生事件の弁護人を勤めたことを認めるが、その余の事実は知らない。

請求原因一、の(2) を認める。

二、請求原因二、の(1) を認める。

請求原因二、の(2) のうち、被告が、昭和三二年四月二四日菅生事件の公判を傍聴したことを認めるが、その余の事実を争う。共産党入党申込書を示して、戸高公徳に対し、その本籍、氏名等に関する証人尋問を行つた弁護人が、清源敏孝であつて、原告でなかつたことは、本訴において原告から指摘され、調査の結果、被告に明らかになつた。

然し原告は、右尋問の後を受けて、戸高公徳に対して、同人が「職務のため嘘をついてもよいと考えているか」などと、総括的な締めくくりの尋問を行つたばかりでなく、戸高公徳に対する証人尋問の核心は、結局同人が「職務上必要があれば、嘘をついてもよい」と、平素から考えている者であることを立証しようとしたものであるから、本件論文中に「この尋問を行つたのは、正木ひろし弁護人だつた」といつても、それは、必ずしも虚偽の事実を指摘したことにはならない。

原告は、本件論文により、その名誉を傷つけられたと主張するが、被告が本件論文で指摘したのは、証人尋問の方法ないし態度であり、その尋問の方法、態度は、それ自体、なんら尋問者の名誉に関する要素を含んでいないから、これを指摘したことが、原告の名誉を傷つけるいわれはない。

本件論文中「ソフイストの詭弁術ともいうべきもの」という部分は、原告に関する事実を指摘したものでなく、被告の単なる感想ないし、見解を述べたものにすぎない。のみならず、元来古代ギリシヤのソフイストの特質は、その弁論術にあり、それは言葉のあやで、相手を屈服させる技術を意味したにすぎないから、本件論文に、「ソフイスト的」というのも、「嘘つき」とか「破廉恥的ごまかし」という、他人の人格をひぼうする意味をもたず、したがつて、これをとらえて、原告の名誉を毀損したとはいえない。むしろ「ソフイスト的詭弁」というようなことは、今日のジヤーナリズムにおいては、ありふれた論評であつて、この程度の言葉を使用することは、言論の自由を保障した憲法第二一条からいつても、当然に許容されるというべきである。

三、請求原因三、を争う。

四、(抗弁)かりに、本件論文中の表現に、穏当をかく部分があつたとしても、次の理由により、その違法性が阻却されるか或は被告の責任は消滅した。

(一)  (抗弁一)(1) (イ)菅生事件が、福岡高等裁判所に係属していた当時、同事件の弁護人や被告人等は、もと警察官であつた戸高公徳が、菅生事件の真犯人であつて、同事件の公訴事実中、駐在所爆破の事実は、同人が行つたものであり、同事件は、警察のでつち上げである旨主張し、(ロ)法廷における、同人に対する証人尋問の際にも、その態度を示し、この尋問を通じて、そのことを国民一般に印象づけようとしたばかりでなく、(ハ)大分、或は福岡地方における新聞には、同事件の弁護人が、その旨の談話を発表したこと、又は被告人等が同様の声明書を発表したこと等が、掲載された。そのため、一般読者は、これら弁護人或は被告人等の主張を信じ、或は少くとも、現職の警察官が、駐在所爆破を行つたような印象を与えられることによつて、戸高公徳及び警察当局に対し、疑惑の念を抱かないとも限らない状況にあつた。

(2)  (イ)又これに先だち、菅生事件の弁護人であつた清源敏孝は、「消えた警察官」と題する著書を刊行し、原告はこれに「菅生事件は、モノスゴイ事件である。たゞの誤判や冤罪の事件ではない。その性質、その規模、その悪魔性において、ナチス独乙の国会放火(擬装)事件、満洲事件の口火を作つた、柳条溝事件の日本国内版ともいうべきものと思われる。小型ではあるが、手はもつと混んでいて、かつ、もつとインケンである。……」との序文を寄せ、(ロ)この著書は「これは恐るべき事件である。駐在所爆破の真犯人が、現職警官であろうとは……」という宣伝文で売り出された。

(3)  (イ)さらに、訴外中野好夫は、中央公論昭和三二年六月号に「菅生事件の戸高節「と題する論文を発表したが、(ロ)その中には、真実に相違する点が二、三あり、そのため、警察に対する誤解を招くおそれがあつた。

(4)  そこで被告は、かようなジヤーナリズムにあらわれた、警察への非難に答え、警察に対する国民の疑惑を拭い去つて、その名誉を回復しようと考え、本件論文を執筆したものである。かように、その目的動機が、もつぱら公益をはかるためのものであり、その表現も、前記のように、今日のジヤーナリズムにおいて、ありふれたもので、さして、不当なものではないから、本件論文は、正当な批評として、違法性を阻却されるものというべきである。

(二)  (抗弁二)仮りにそれが認められないとしても

(1)  原告が菅生事件を「ナチス独乙の国会放火事件」や「柳条溝事件の日本国内版」といい、「その悪魔性」とか、「手はもつと混んでいて、かつ、もつとインケンである」とかいう表現を使つて、

(2)  警察、検察当局をひぼうし、原告等弁護人が、戸高公徳を真犯人であると新聞に発表したので、警察当局の一員である被告は、これに挑発せられて、警察および戸高公徳の利益をよう護するため、本件論文を執筆したものであるから、これら応酬の文言、程度、ならびにそれに至つた関係等を、あれこれ考え合わせると、本件論文は、原告の不当な功撃によつて、挑発されたものとして、その違法性を阻却するものというべきである。

(三)  (抗弁三)

(1)  本件論文中、清源敏孝が戸高公徳に入党申込書を示してその本籍、氏名、等各項目についての質問をしたのを、恰も原告がなしたかのように、一般にとられるような記述をした個所については、被告は、昭和三三年六月一〇日、本訴が、福岡地方裁判所に提起される約一年も前に、福岡における新聞記者会見で、卒直に前記の点について、一部感違いがあつた旨を発表し、昭和三二年六月一八日付大分合同新聞及び新九州新聞、その他西日本新聞等に、その記事が掲載された。(2) 従つて、本件論文の、右個所の戸高公徳に対する尋問は、清源敏孝がなしたもので、原告が行つたものでないことは、右新聞紙を通じて、既に訂正されたものというべきである。それ故、被告の責任は消滅した。少くともその限度は、減縮せられるべきである。

第四、右抗弁に対する原告の答弁

一、抗弁一、に対して。

(1)の(イ)のうち、菅生事件の弁護人等が、同事件の真犯人は、戸高公徳であると云つた事実を、否認する。

(1)の(ロ)の事実を否認する。

(1)の(ハ)の事実を否認する。

(2)の(イ)の事実を認める。

(2)の(ロ)の事実は知らない。

(3)の(イ)の事実を認める。

(3)の(ロ)の事実を否認する。

(4)の事実を否認する。被告は、本件論文は、公益をはかるために執筆したものと主張するが、その論文は、戸高公徳の利益をよう護することを目的とするものであり、同人が、菅生事件の真犯人であることは、同事件の第二審判決で明かにされた。従つて、本件論文は、真犯人戸高公徳の利益をよう護するために執筆されたものというべきであるから、公益のために執筆したものということはできない。

二、抗弁二、に対して。

(1)の事実を認める。

(2)の事実を否認する。

三、抗弁三、に対して。

(1)の事実は知らない。

(2)の主張を争う。

第五、証拠関係

一、原告

(一)  提出した書証

甲第一ないし一一号証。

(二)  援用した証言等及び検証

証人関原勇、同中野好夫、同中島健蔵、同波多野完治、同橋本進の各証言及び原告並びに被告本人尋問の結果福岡高等裁所の菅生事件の第七回ないし第九回公判期日の録音テープの検証(再生)の結果。

(三)  乙号証の成立についての認否

乙第一三、一七、一八、二〇号証の原本の存在及び成立を認める。乙第二八号証中、郵便官署作成部分の成立を認めるがその余の部分の成立は知らない。その余の乙号各証の成立を認める。

二、被告

(一)  提出した書証

乙第一ないし一一号証、同第一三、一四号証、同第一五号証の一、同号証の二、三の各イ、ロ、同第一六号証の一ないし六、同第一七ないし二二号証、同第二三号証の一、二、同第二四号証の一、二、三、同第二五号証の一、二、三、同第二六号証、同第二七号証の一、二、三、同第二八、二九号証、同第三〇号証の一、二。(但し、同第一三、一七、一八、二〇号証は写)

(二)  援用した証言等

証人吉村正、同植松正の各証言及び被告本人尋問の結果。

(三)  甲号証の成立についての認否

甲第五号証の成立は知らない。その余の甲号各証の成立を認める。

第六、本件は、昭和三三年六月一〇日、被告の当時の住所を管轄する、福岡地方裁判所に提起せられたが、その後、被告が、東京都に転居したことを理由として、原告から、本件を、東京地方裁判所に移送すべき旨の申立が為され、福岡地方裁判所は、昭和三三年一二月、右申立を容れ、本件を、東京地方裁判所に移送する旨の決定を為し、本件は、昭和三四年一月二六日、東京地方裁判所に於て、受理せられたものである。

理由

一、先ず、菅生事件の経緯を概説する。成立に争のない甲第六ないし第八号証の各記載、弁論の全趣旨に徴し、真正に成立したと認める甲第五号証の記載によれば、次の事実が認められる。

即ち、

昭和二七年六月二日午前零時すぎ頃、大分県竹田地区警察署菅生村巡査駐在所に於て、その事務室の床板の一部、建具椅子等が、ダイナマイトによつて爆破された。検察当局は捜査の結果、竹田市大字菅生に居住する、後藤秀生、坂本久夫、後藤守、阿部定光の四名を、爆発物取締罰則違反後藤秀生、坂本久夫に対する殺人未遂、建造物損壊等の被告事件(別に被告人藤井満に対する窃盗、脅迫、傷害被告事件が併合されているが、それは菅生事件とは直接関係がないから、同被告人に対する部分をすべて除く。)を以て、大分地方裁判所に起訴し、同地方裁判所は、昭和三〇年七月二〇日、右各被告事件につき、全員有罪の判決を宣告した。その要旨は、被告人後藤秀生、同坂本久夫等は、共謀の上、治安を妨げる目的をもつて、前記菅生村大字菅生字下菅生一、一一四番地にあつた同村が所有し、駐在所勤務巡査大戸三郎及び同人の妻大戸ミチ子が居住していた、互葺木造平家間口約五間、奥行約四間半の、当時の国家地方警察大分県竹田地区警察署菅生村巡査駐在所の建物の一部を、爆発物を使用して損壊し、同建物財産を害しようと企て、昭和二七年六月二日午前零時過頃、同巡査駐在所に至り、かねて準備し、その場に携えて来た砂や、小石等をいれたガラス瓶中に、ダイナマイト、雷管及び導火線等を、その導火線の瓶の口から出た部分に、点火をすれば、やがては爆発を惹起するように装置した、爆発物の導火線の右部分に、所携の燐寸をもつて点火してそれを、折柄前記大戸巡査夫婦在宅中の、同駐在所建物の外部から、同駐在所事務室の窓ガラスを破壊、通過させて、同室内に投げこみ、右導火線の火を、ガラス瓶中の雷管等に導かせ、直ちに、前記爆発物を爆発させて、これを使用し、よつて、同駐在所の建物の一部である右事務室の床板の一部等や、同室内の建具及び椅子等を損壊したという事実を認定し、その証拠として、証人山村幸夫、同松川武雄、同西野徳太郎、同大戸三郎、同渡辺義人、同深見暢人、同小林幸夫、同秋月転の同裁判所に於ける各供述、鑑定人柴旙博展の昭和三〇年一月一六日付鑑定書、国家警察大分県本部刑事部鑑識課長名義の「物件鑑定の結果について」と題する書面(右爆発は、外部から投入せられた爆発物によると、判定する。)等を採用し、殺人未遂の点については、犯罪の証明がないけれども、爆発物取締罰則第一二条に従い、無罪の言渡をしないとした。

被告人等は、同裁判所に於ける公判期日に於て、右事件の真犯人は、被告人等ではなく、その事件に先だち、「市木春秋」なる変名を用い、日本共産党員である被告人等に近づき、同事件発生後、突如として姿を消した者(後日、戸高公徳と判明)の犯行であると主張し、「市木春秋」なる者の証人尋問を求めたが、同人の本名及びその所在が判明しなかつた為、同裁判所では、戸高公徳を、証人として調べなかつた。

福岡高等裁判所第四刑事部は、被告人等の控訴申立に基き、昭和三〇年一二月以後、数十回に亘る公判期日に於て、事実の取調(昭和三二年三月一三日、戸高公徳の東京都に於ける所在が判明し、検察官は直ちに、同人を証人として、尋問することを申出たので同裁判所は、その第七回ないし第九回公判期日に於て、戸高公徳を証人として尋問し、原告は、被告人等の弁護人の一人として、質問をした。)を為し、昭和三三年六月九日、原判決を破毀し、被告人後藤秀生同坂本久夫に対する爆発物取締罰則違反、建造物損壊、被告人阿部定光、同後藤守に対する爆発物取締罰則違反の点は、犯罪の証明がないとして、無罪の言渡をした。その理由の要旨は、原審で採用した証人小林幸夫(竹田地区警察署の警察官で、犯行現場に張り込んでいた者)、証人渡辺義人(同地区警察署警察官)、同山村幸夫(当時国家地方警察大分県本部捜査課勤務警察官)、同西野徳太郎(同本部刑事部鑑識課勤務)、同秋月転(当時竹田地区警察署警察官)等の各証言が、採用に値しない理由を説明し、同裁判所が採用した鑑定人山本祐徳外三名の鑑定(以下東大の鑑定という。)、即ち、右駐在所の爆破に用いられたダイナマイトは、押検第三五号のダイナマイト入ビール瓶(事件当時、駐在所前庭に放置してあつた不発の爆発物)と、同様のダイナマイト入りビール瓶様のもの一個の爆発によるものであり、その爆発物件は、当時駐在所事務室の東北隅に、南向きに置いてあつた押検第二四号木製椅子の腰掛板上に、瓶底を東北、瓶口を西南にし、腰掛板に横臥の姿勢で爆発したとした鑑定(右爆発は、内部に仕掛けられた爆発物によると判定する。)を採用した。

この無罪判決に対し、福岡高等検察庁検事長から、上告申立が為され、その事件は、最高裁判所に昭和三三年(あ)第一四三九号事件として係属し、同裁判所第二小法廷は、昭和三五年一一月一六日、その上告を棄却する旨の判決を言渡した。その理由は、原審判決には、何等重大な事実の誤認をした違法がない、というにある。

二、次に、本件の請求について、判断する。

被告が、九州管区警察局長在職中、中央公論社に「菅生事件と警察の立場-私も菅生事件を傍聴した」と題する本件論文を寄稿し、同論文が、同社の昭和三二年六月一〇日発行にかかる月刊雑誌「中央公論」同年七月号に掲載されたこと、及び本件論文中に、原告が、菅生事件の福岡高等裁判所に於ける前記公判廷において、証人戸高公徳に対して、尋問を行つたことに関し、前記請求原因第二項の(1) のような記載があつたことは、当事者間に争いがない。

三、被告は、右論文において、原告の、前記被告事件における証人戸高公徳に対する尋問について、「この尋問をしたのは、正木ひろし弁護士だつたが」として、「そのやり方は、ソフイストの詭弁術ともいうべきもの」とか、或は「証人の人格を傷つけることによつて、証言全体の信憑性を崩してゆこうとするものだつた。私は『なるほど正木さんらしいやり方だ』と感心したものである。しかし、私が感心したのは、こういう詭弁学派(ソフイスト)的な、形式論理の言葉のやりとりの巧さであつて、決して、真実を究めてゆく迫真力ではなかつた」と記載したが、被告が、ここで、この批評の対象としている事実そのものが果していかなるものであつたかについて、検討してみよう。

前記甲第五号証の記載、検証(福岡高等裁判所に於ける前記第七回ないし第九回公判期日に於ける、録音テープの再生)の結果、被告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

福岡高等裁判所に於ける、昭和三二年四月二二日の第七回公判期日に於ては、証人戸高公徳の尋問に先だち、同証人を、検察官と弁護人の何れが先に尋問するかについて、両者の間に争が起り、主任弁護人清源敏孝及び被告人等から、裁判官全員及び裁判長に対する忌避申立が為されそれ等は、訴訟遅延の目的を以て為されたものとして却下された。先ず、検察官の同証人に対する主尋問が為され、同証人は、同人が警察官として、昭和二七年三月、大分県直入郡菅生村に、日本共産党の軍事活動を捜査する為に、乗込んだ時から、同年六月一日午後一〇時(前記犯行直前)、菅生村を去る迄の経過、その間、前記各被告人等との折衝、ダイナマイトの受渡、共産党入党申込書について供述し、それで同日の取調を終つた。

昭和三二年四月二三日の第八回公判期日に於て、冒頭に、原告が証人戸高公徳に対し、同証人が、昭和三二年三月一三日、東京都新宿区番衆町の春風荘アパートに於て、共同通信社の報道員の来訪をうけ、バア白鳥迄、連行されたことについて質問し、昭和三一年一〇月春風荘に入居する以前は、どこに居たかと、質問すると、検察官は、犯罪事実と関連性なしとして、その質問に異議を申立てたが、裁判所は、その異議を却下した。しかし同証人は、結局、春風荘入居以前の所在については、当時の人に迷惑をかけるということを、理由にして、その証言を拒んだ。原告は、更に、同証人に対し同人が、警察大学のあつた、中野区囲町二丁目一番地に、住民登録をしたことがあるか、家族と別居した理由、潜伏中、東京大学研究生、「佐々淳一」なる変名を用いていた理由、警察官を退くときに貰つた退職金の額等について、質問をして、同日午前の取調を終つた。同日午後は、弁護人坂本泰良、諫山博、今長高雄、原田香留夫、岡林辰雄、野尻昌次、主任弁護人清源敏孝が主として前記事項につき戸高公徳に質問をした後、原告が、同証人に対し、同人が、春風荘に於ける所在が発覚した後、西日本新聞に発表した手記について、質問をした。次いで主任弁護人清源敏孝、及び岡林辰雄、原田香留夫、坂本泰良、野尻昌次の弁護人が、同証人が、昭和二七年六月、警察官を退職してから、昭和三二年三月一二日、前記春風荘に於て、共同通信社の記者に発見せられる迄の経緯について、質問をした後(この間に、検察官から重複質問として、異議申立が為されたが、裁判長は、その異議を却下した。)、原告が、菅生村に於ける、共産党の中核自衛隊の組織、昭和二七年五月三一日(前記犯行の二日前)の前記駐在所の爆破計画、及びその阻止、翌六月一日午後一〇時頃(犯行時の約二時間前)、同人が、菅生村から竹田町に下りて行つた前後の経緯について、質問した。次いで原田香留夫、諫山博各弁護人の質問が為されて、同日午後の取調を終つた。

昭和三二年四月二四日の第九回公判期日に於ては、主任弁護人清源敏孝が、ラジオ九州RKBの録音テープの証拠調を請求し、裁判所がこれを却下したのに対し、弁護人清源敏孝、岡林辰雄、原告、坂本泰良、関原勇が、異議申立をし、裁判長は、その異議を却下した。次いで原告が、証人戸高公徳の尋問を始めた。即ち同人が、昭和二七年六月一日午後一二時頃後藤秀生等から、菅生村の中学校に集合を命ぜられたこと、戸高公徳の情婦という噂のあつた阿南房代との交渉、前記駐在所への脅迫文の投入、前記バア白鳥に於て、原告が、同証人と問答した際の模様について、質問をし、ついで主任弁護人清源敏孝の質問に対し、同証人は、自分が働いていた、菅生村の松井製材所(当時、同人の止宿先でもあつた)内に於て、主人松井波津生の悪口を言つたが、それは、方便として嘘を言つたことになる。被告人等に対し、自分はレツドバージにかゝつたこともあると言つたが、それは、自分の身分を秘匿する為に言つた。共産党入党申込書に書いてあることも、全部嘘だ。生年月日も違う。本籍も違う。学歴も違う。職歴の内、昭和二七年三月に、松井製材所に就職したというのは、本当だが、その外は、嘘である。こういう嘘を書いたのは、自分が、情報活動をする為の手段として、後藤秀生被告人を信用させる為、自分の職務上、書いた。と答えた。更に、同弁護人から、共産党に対するカンパ、菅生村農業倉庫に壁新聞をはつたこと、大分県警備課の同証人の上司、変装、再び前記脅迫文の投入、阿南房代の村内に於ける風評、同証人が、昭和二七年五月三一日、翌六月一日の、前記被告人等の駐在所爆破の計画を、阻止することはできないと判断した経緯、小林末喜部長への、被告人等の爆破計画の報告、六月二日午前零時過、駐在所爆破当時には、菅生村を去つていた経緯等について、質問がなされた後、自分は、火薬類を、捜査情報収集の為に、所持していた。昭和二七年一〇月東京都中野区所在の警察大学のグラウンドに於ける運動会には、妻と共に出席した。等の答えをした。次いで、原告が、同年五月三一日、菅生小学校に於ける、被告人等との会合について、質問した後「さつき、証人は、職務上、嘘は已むを得ないと言つたが、その信念は、今も変らないのか。」と質問し、戸高公徳は、「今は、先程申上げた通りです。」と答えた。原告の「職務に反しても、真実を。」という質問に対し、「職務には反して居ません。」原告の「今でも(中略)、職務上ならば、嘘をついてもと、思つているや否や。」という質問に対し「それは、その…嘘をついてもいゝという風には、思つてはおりませんけれども、その時の状況によつて、職務上ですね、やらなくてなんないということになれば、これは、やむを得ないと思います。」と返答して、原告の質問は終つた。その後は、弁護人坂本泰良が、衆議院法務委員会に於ける、石井警察庁長官の発言と、前記小林末喜警備部長の戸高公徳に対する指示との相違につき、質問をし、次に弁護人諫山博が、戸高公徳が、菅生村滞在中に用いた「市木春秋」という変名、松井波津生との邂逅、昭和二七年六月一日夕方から、午後一〇時頃迄の行動、同年五月二九日か三〇日、ダイナマイトを菅生村に持帰つたときの経緯等につき、質問をし、次いで弁護人野尻昌次が、戸高公徳の学歴、雷管導火線についての知識、前記脅迫文の投入、同年六月一〇日午後一〇時、菅生村を去る時の経緯につき質問をし、弁護人岡林辰雄が、同年五月三一日から、翌六月一日にかけての経緯を質問し、同人の春風荘滞在当時に於ける、同人の妻の所在に関する証言拒否につき、裁判所、検察官、弁護人の間に、問答が繰返され、同日の取調を終つた。そして、被告は、右三日に亘る公判期日に出廷して、取調を傍聴して居り、必要に応じてメモをとつていたことが、認められる。

被告は、本件論文において、被告が、中央公論昭和三二年六月号に掲載された、中野好夫執筆の論文「菅生事件の“戸高節”」を批判して、「中野氏は、弁護団側が、戸高証言そのものの信憑性を覆すために、戸高氏の共産党入党申込書を持ち出して、戸高氏が非常にウソをつく男、よりわけ職務上の必要のためには、ウソをついてもよいと信じている男であることを立証したのは、成功だつたというが、私の印象はちがう。」として、その次に「この尋問をしたのは、正木ひろし弁護人だつたが」と記載したけれども、ここに「この尋問」というのは、「とりわけ、職務上の必要のためには、ウソをついてもよいと信じている男であることを立証した」、尋問のみを指すものである。更に主任弁護人清源敏孝が行つた共産党入党申込書を出したという事実について、『この本籍はウソだろう。この名前もウソだろう。………』という工合に、入党申込書そのものが、真意に基づくものでないという、実質的には、一度ですむ証言のかわりに、その一項目ずつについて、一々『ウソです』と、何回も何回も認めさせ、『ウソです』という証言の回数を、多く得てゆくことによつて、『君は何てウソつきなんだ』ときめつけた後をうけて、原告が戸高公徳に対する証人尋問をなした核心は、結局、同人が「職務上必要があれば、嘘をついてもよい。」と、平素から考えている者であることを、立証しようとしたものであるから、本件論文中に「この尋問をした者は、正木ひろし弁護人であつた。」と記載しても、それは、虚偽の事実を指摘したことにはならないと主張するけれども、本件論文を卒直に通読すれば、一般読者が、証人戸高公徳に対し、共産党入党申込書を示して、その本籍氏名等の真否について、個別的に尋問し、「ウソです」という証言をさせたものは、原告その者であると、解釈するのは、当然であり、被告が批判を加えた対象は、原告のこの尋問方法そのものを指すと解釈することは極めて自然である。しかるに原告が質問した事項及びその範囲は前段判示の通りであるから、被告は、本件論文により、原告に対し、公然虚偽の事実を摘示したと、いわなければならぬ。

四、原告は、被告が、原告がしなかつた尋問を原告がした尋問として、本件論文を発表したのは、被告が、その誤りであることを、十分知りながら、即ち、故意を以て、質問者を、言論界にネームヴアリユーのある原告に、すりかえたと主張するけれども、被告の悪意を認めるに足りる、的確な証拠資料は、これを発見し得ない。

然し前段判示の事実によれば、被告は、戸高公徳に対する証人尋問が行われた前記各公判期日に、常に出廷して、それを傍聴し、必要に応じてメモをとつていたのであり、戸高公徳に対する質問者は、多数居たのであるから、若し被告が、本件論文執筆に際して、苟も原告に対する批判の文章を、起案しようとするならば、須らく、前記の質問をした者は、前記各弁護人の内の何者であつたかを、調査すべきであり、自己の作成したメモ、及び右公判を傍聴した記憶の確かな者等について、調査すれば、質問者が清源敏孝であつたことは、たやすく知り得た筈である。しかるに被告が、かような調査をすることなく、漫然、証人戸高公徳に対する反対尋問に重要な役割を演じた質問者をとり違え、恰も原告一人が、その質問をしたように、記載した本件論文を発表したことについては、被告に重大な過失があつたと判断せざるを得ない。

五、ところで、原告を含めた菅生事件の弁護人等の、戸高公徳に対する証人尋問は、被告が、本件論文において指摘するように果して非難さるべきものであつたかどうかについて、検討してみよう。福岡高等裁判所に於ける、証人戸高公徳に対する尋問の経緯は、既に前段判示の通りである。

してみれば、戸高公徳は、被告人等の無罪を立証する為の、主尋問の対象としての証人の資格であれ、検察官側の、被告人等の有罪を立証する為の主尋問に対する、反対尋問の対象としての、証人の資格であれ、被告人等からすれば、いわば敵性証人に外ならないのであるから、同人に対する証人尋問は、交互尋問の原則で許された範囲内で、鋭い尋問にさらされなければ、真実発見の目的を達せられなかつたであろうことは疑を容れない。既に判示したように原告を含めた弁護人等は、菅生事件は、警察側が仕組んだ事件であり、被告人等には関係がなく、戸高公徳こそ、真犯人であるということを立証しようとして、同人が右事件発生後、昭和三二年三月一三日、春風荘に於て発見せられる迄の経過、菅生村滞在中に、被告人等との間に為された言動について、反対尋問をなし職務のためには、被告人等に対し、虚偽の事実を告げてもよいという証言を為さしめ、或る事項については、默秘して語らしめぬことに成功した。その間、右弁護人等は、再三に亘り、裁判官を忌避して法廷を混乱し、審理を遅延させ、或は証人戸高公徳に対し、弁護人の主張する事実を供述せしめようとする等、遺憾な法廷戦術の行きすぎがあつたことが認められるけれども、主任弁護人清源敏孝が、同証人に対し、共産党入党申込書を示して、その本籍、氏名等の真否を問い正し、同証人をして、それらが、すべて虚偽である旨、証言させ、結局全体として、同証人の証言の信憑性を覆してゆこうとした点は、決して違法な尋問方法ではなく、反対尋問の技術としては、許されているところである。そうだとすれば、被告が本件論文において、証人戸高公徳に対し、共産党入党申込書を示して、個別的に尋問した者を、原告であるとし又その反対尋問の方法が、非難されるべき筋合のものでもないのに「なるほど正木さんらしいやり方だ。」等と批判したことには、被告に重大な過失の責があるといわなければならない。

六、被告は、被告が本件論文で指摘したのは、証人尋問の方法ないし態度であるが、それらは、それ自体、なんら尋問者の名誉に関する要素を含んでいないから、それが、原告の名誉を傷つけるいわれはないと主張するけれども、原告が行つたと記載された、前記個別的尋問に対し、被告が前記のように、批評を加えた事は、法律の専門家ではなく、従つて尋問技術について、何等の知識をもたない一般読者に対して、かような個別的尋問方法を行つた者が、原告であり、原告は、被告が批評するように、形式論理の言葉のやりとりの巧さを有し、かつ、その尋問の方法、態度は決して真実を究めてゆくものではないという、印象を与えるであろうことは、本件論文の記述自体に照らし、明かである。それは、結局原告自身の名誉に関する批評とならざるを得ないのである。

七、被告は、本件論文中、「ソフイストの詭弁術ともいうべきもの」とは、原告の名誉を傷つける表現ではなく、それは「言葉のあやで、相手を屈服させる技術」を意味したにすぎないと主張する。しかしながら証人中島健蔵同波多野完治の各証言によれば、本来ソフイストという言葉は、プロタゴラス、プロデイコス等を代表者とする、古代ギリシヤの哲学の一学派であり、それ自体は、何ら人の人格を傷つける要素を含むものではないが、今日、それの訳語として使用されている詭弁学派(ソフイスト)から派生した、詭弁学派(ソフイスト)的という言葉には、「ウソつき」、「ごまかし」的という意味をもち、それが、人の人格に対する批評として用いられた場合には、専ら人格をひぼうする意味で用いられることが認められる。従つてこの言葉は、他人の人格をひぼうする意味をもたないという被告の主張は、採用できない。

又被告は「ソフイスト的詭弁」というような表現は、今日のジヤーナリズムにおいては、ありふれた論評であつて、この程度のことは、言論の自由の範囲内で当然許容されるものであると主張するけれども、詭弁学派(ソフイスト)的という言葉は、今日に於ては、本来の用法を離れて、人の人格をひぼうする言葉として使用されていることは、前判示のとおりである。成立に争いのない乙第二七号証の一ないし三の記載(月刊雑誌中央公論昭和三六年三月号所載の福田恒存執筆「論争のすゝめ」なる論文)によれば、今日ジヤーナリズムにおいては、相当露骨な表現で論敵を罵倒していることを、十分窺うことができる。又成立に争いのない乙第一六号証の一ないし六の各記載(原告著「検察官。」傍題、神の名において、司法殺人は許されるか。)によれば、原告は、いわゆる八海事件に関し、「検察官」という著書を刊行し、その中で、その事件を担当した裁判官或は検察官を、「正当な論理によらずあらゆる種類の詭弁、ウソ、言語魔術を使い、しまいには、弁護人等の人格を誹謗までして、これをしりぞけることより、ほかに手がない」ものであると評し、又「藤崎氏(第一審担当裁判官)の著書「八海事件」は、明かに世の中をダマそうとして、訴えたものである。これば、詐欺師のやることであつて、裁判官のやるべきことではない。」と記述するなど、原告自ら、著しく穏当をかく表現をもつて、他人を論評、場合により、罵倒していることが認められる。しかし、それだからといつて、被告が、前段判示のように、間違つた事実の上に立つて、原告を批評したことが、原告に対する名誉毀損を構成しないと云うことはできない。

八、更に被告は、本件論文によつて、原告を批判したことは、憲法第二一条が保障する言論の自由の範囲内の批判であるから、原告に対する名誉毀損を構成しないと主張するけれども、その批判は、いわゆる明白にして、かつ現在の危険を包含する場合のみに限らず、それが、他人の名誉を毀損するものである限り、許されないと言わなければならない。

尤も、成立に争いのない乙第七号証の記載によれば、次の事実が認められる。原告は、被告の本件論文発表後、被告を、福岡地方検察庁に、名誉毀損罪で告訴した。担当検察官は、その告訴事件について、「告訴人(原告)が、その名誉を毀損するものとして、指摘する数カ所は、一部表現に、やゝ度の強い点があるが、全体としてこれをみれば被告訴人(被告)の告訴人(原告)に対する悪意(害意)が認められず、又民主々義社会において許容せられるべき、批判の自由の限界を逸脱したものとは断じ難い」とし、又本件において、原告が、その名誉を毀損するものとして、主張する個所については、「被告訴人(被告)には、殊更、告訴人(原告)の名誉を毀損する犯意があつたとは、認められない」とし、この批判は、「民主主義社会において当然許されるべき、批判の自由の範囲内の記述」で、名誉毀損罪に該る嫌疑はなく、同時に、侮辱罪にも該当する嫌疑のないものとして、不起訴の裁定をしたことが認められる。しかしながら、検察庁における名誉毀損の告訴事件の不起訴裁定の理由が、それに関する民事訴訟事件において、受訴裁判所が、名誉毀損の成立に関する判断をなすについて、その裁判所を拘束する理由となり得ないことは、多言を要しないことである。右不起訴裁定が被告に、原告の名誉を毀損する犯意がなかつたとする理由については、当裁判所も、これに左祖するに、吝かでないのであるがその余の点即ち、本件論文が、公正な論評の限度をこえていないとする点については、当裁判所と、その見解を異にするものであつて、採用できない。

これを要するに、本件論文に於ける被告の批判は、原告の名誉毀損を構成するものであるから、被告の主張は、これを採用することができない。

九、(抗弁一、に対して)。被告は、本件論文は、公益擁護の目的を以て執筆されたものであるから正当な批評として、違法性が阻却されると主張する。菅生事件の主任弁護人清源敏孝が、「消えた警察官」と題する著書を刊行し、原告が、これに「菅生事件は、モノスゴイ事件である。ただの誤判や、寃罪の事件ではない。その性質、その規模その悪魔性において、ナチス独乙の国会放火(擬装)事件、満州事変の口火を作つた柳条溝事件の日本国内版ともいうべきものと思われる。小型ではあるが、手はもつと混んでいて、かつ、もつとインケンである。……」との序文を寄せたこと、及び中野好夫が、月刊雑誌中央公論昭和三二年六月号に、「菅生事件の“戸高節”」と題する論文を発表したことは、当事者間に争いがない。

菅生事件の被告人、或は弁護人等が、該事件の真犯人は、戸高公徳であるとか、或は、警察側の犯行であるとか主張し、戸高公徳に対する証人尋問の際にも、かゝる態度をとつたことは、前判示のとおりであり、成立に争いのない乙第二号証、乙第四、五号証の各記載によれば、被告人等或は原告を含む弁護人等のかような主張が、昭和三二年三月一六日の大分合同新聞、同年四月二三日の朝日新聞夕刊、同年同月二五日の毎日新聞に掲載されたことが、認められる。

成立に争いのない甲第一号証の記載、及び被告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。被告は、福岡地方検察庁担当検察官の取調及び、当裁判所に於ける本人尋問に於て自分は、昭和三二年一月、九州管区警察局長として着任し、関係者から、菅生事件について、事情を聴取した結果、戸高公徳は、情報収集活動に従事はしたが、菅生事件そのものには、関係ないと確信していたので、同人が、ダイナマイトを投げこんだとか或は、それが前記駐在所内部に、予め仕掛けられていたとかという、被告人或は弁護人等の主張は、とんでもない主張であると、考えていた。同年三月一三日、戸高公徳が、東京都新宿区番衆町春風荘に於て、その所在を発見され、同年四月二二日から、福岡高等裁判所に於て、証人として取調べられることになつたので、自分は、現地警察の責任者として、自ら公判を傍聴し、事件の真相を知りたいと考え、終始、その公判を傍聴した。その結果、自分としては、同証人の証言は、一貫していてしつかりしたものであると考え、それに対し、弁護人等の尋問は、感情に走り、内容空疎であると感じた。ところが、たまたまその公判を傍聴した中野好夫が、昭和三二年六月号の月刊雑誌中央公論に、その傍聴記「菅生事件の〃戸高節〃」を発表し、(この論文発表の事実は、当事者間に争いがない。)その中に、やゝ事実と相違する記述があり、これを放置すれば、警察に対する世間の疑惑を招く恐れがあつたので、前記のようなジヤーナリズムにあらわれた警察への非難にこたえ、警察の名誉を回復しようと考え、本件論文を発表するにいたつたものであると供述する。

しかしながら、もし菅生事件の客観的事実が、最高裁判所、福岡高等裁判所が判示したようなものであるとすれば、被告が、右事件の内容を、その主張のように判断していたということは誤つていたと謂わなければならない。

仮りに、被告が、本件論文執筆当時に於て外部爆破説を確信して居り、執筆の目的が、前記ジヤーナリストの警察への非難にこたえかつ、警察の威信を回復することにあつたにせよ、その目的の正当性が、それにもとずく行為の全てを、正当化するものでないことは、言う迄もない。被告の本件論文が、正当な批評として免責されるには、それが、誤りのない事実を基礎とし、論理の法則に従つて推論せられ、かつ公明であることを、要する。しかるに本件論文は、既に判示したように主任弁護人清源敏孝がなした尋問を、原告がなしたものであるとし、しかも「なるほど、正木さんらしいやりかただ」と感心したと、揶揄的に批評しているのであるから、その批判が、戸高公徳に対する謂われのない疑惑を払拭し、警察当局の威信を維持する為の、正当な批評であるということは、到底できない。

従つて、違法性阻却の抗弁は、これを採用することができない。

一〇、(抗弁二、に対して)。被告は、本件論文は、原告の不当な攻撃により、挑発せられたものであるからその違法性を阻却すると主張する。

前記のように、原告が、菅生事件を、「ナチス独乙の国会放火事件」とか、「柳条溝事件の日本国内版」と評し、或は、それにつき、「その悪魔性」とか、「手はもつと混んでいて、かつ、もつとインケンである」という表現を使つたことは、原告が自白したところである。しかし被告が、それによつて挑発されたから、本件論文を掲載するということは、不正に報いるに、不正を以てするという譏りを免れないし、仮りに被告が挑発されたとしても、被告の本件論文の違法性が、阻却されるということにはならない。九州管区警察局長であつた被告は、須らく、原告の右のような宣伝文句によつて挑発されることなく、客観的な資料に基いて得られた事実を根拠として、原告の前記批評を正当に批評すべきであつたのである。

従つて、この抗弁も、採用することができない。

一一、(抗弁三、に対して)。被告は、既に前記論文中の誤謬を訂正したから、その責任は消滅した、少くとも減縮せられるべきであると主張する。

成立に争いのない乙第一七、一八号証の各記載、並びに被告本人尋問の結果によれば、原告が本件請求に売だち、被告に対し、本件論文に関し謝罪広告等を求めたのに対し、被告は、昭和三二年六月一七日福岡市に於て、記者会見を行い、本件論文の記載に、一部誤りのあつたことを認める旨の談話を発表したところ、翌一八日付の新九州新聞、及び大分合同新聞に、その趣旨の記事が掲載されたことが認められる。

この事実は、右両新聞の読者が、主として北九州に限られているとはいえ原告の被告に対する本訴請求の範囲及び限度を決定するにつき、当然考慮に入れるべき事由に該当する、と考えられる。

一二、次に、原告の各請求につき、判断する。原告が、大正一一年当時の東京帝国大学法学部法律科を卒業し、昭和五年頃から、東京都内で弁護士を開業し、菅生事件の弁護人を勤めたことは、被告が自白したところであり、原告本人尋問の結果によれば、原告が、相当長期間に亘り、東京薬学専門学校及び東京薬科大学で講師を勤め、かたがた、新聞雑誌等に評論等の筆をとり、又学問的には、論理学に多大の関心をもち、それについて著述をしていること、原告が被告の本件論文を読んで、可成、自分の名誉が毀損されたと感じたことが、認められる。更に証人中野好夫、同中島健蔵、同波多野完治の各証言によれば、同証人等も、本件論文を読んだ際それが原告の名誉を毀けるものと感じたし、一般読者もさように感じたであろうと、考えたことが認められる。その点について、証人植松正、及び同吉村正は、被告が本件論文に於て、詭弁学派的という表現を用いても、それによつて原告の人格が傷つけられるというものでもなく、名誉毀損として、憤慨するほどのことでもない旨、供述するけれども、同証人等の名誉毀損についての価値判断の基準は、当裁判所のそれとは、異るようであるから右各証言を採用して、本件論文は、原告に対する名誉毀損を構成しないと、判断することはできない。

又、乙第九、一〇号証、及び乙第二八号証の各記載は、前記認定の妨げとなるものではなく、他にこの認定を覆すに足りる証拠資料はない。

一三、さて、原告の被告に対する謝罪広告の請求につき、判断しよう。本件論文が、月刊雑誌中央公論の昭和三二年六月号のみに、掲載されたものであることは、当事者間に争がなく、前記乙第七号証の記載によれば、同誌は、約一二万部印刷せられ、全国各地に、広範囲に配布されていることが認められる。原告は、被告に対し、謝罪広告として、主文第一項掲記の文言の広告を、月刊雑誌中央公論の外、日刊紙たる朝日新聞(全国版)、毎日新聞(全国版)、及び同西日本新聞の各社会面に各一回ずつ、掲載することを請求する。しかしながら、月刊雑誌中央公論の読者は、おおまかに言つて、約一二万人と大差ないものと推認しても、誤りなかるべく、かつ、その読者層は、比較的高い知識階級に限られると、推認し得られる。被告が、前記のように、北九州の諸新聞に、本件論文の記載の一部に、誤りがあつたことを認める談話を発表したこと、本件論文の執筆の動機には、被告の原告に対する私憤私怨は、少しも認められぬことを考慮に入れると、被告が、その謝罪広告を為すのは、被告が、本件論文を掲載した月刊雑誌中央公論のみに限るのが、相当であると考えられる。これを全国版である朝日新聞、毎日新聞、地方紙である西日本新聞に迄掲載せしめることは、被告に、必要以上の苦痛と、無益の負担とを、強いるものであり、衡平の原則に反すると謂わなければならぬ。これ等の新聞紙の読者の圧倒的大多数は、本件論文の掲載自体すら知らぬ筈である。それ故謝罪広告の請求は、主文第一項掲記の限度に於て、これを認容するのが相当であり、その余の請求は、失当と認めて、これを棄却する。

次に、原告の請求につき、判断する。原告本人尋問の結果によれげ、原告は、前段判示のような当事者間に争のない経歴を有する外、自ら主張するような、経歴を有していることが、認められる。被告が、永く警察官を勤め、昭和三二年一月から、昭和三三年九月まで、九州管区警察局長の職にあり、その後、現在に至る迄、公安調査庁調査第一部長であることは、被告が自白したところである。被告本人尋問の結果によれば、被告は、昭和九年東京帝大法学部政治科を卒業し、内務省を経て、千葉県学務課長、商工課長、労働局の事務官、内務省の事務官、内閣の綜合計画局の参事官、群馬県警察部長、警察講習所、警察大学の教頭、校長、東北管区警察局長を歴任したことが認められる。原告は、以上の事実に基き、原告が、本件論文により、その名誉を毀損され、それが為蒙つた精神上の苦痛を医す為には、慰藉料一一万円が、相当であると主張する。しかし、原告が、その慰藉料一一万円として請求する所以は、原告が、当時被告の住所を管轄した、福岡の裁判所の管轄を決定する為に、簡易裁判所を避け、地方裁判所を希望したが故に、謝罪広告に関する訴訟物の価格を一応算定困難のものとし、慰藉料の額を一一万円としたと、解し得られる形跡が、ないではない。果してそうだとすれば、原告は、一一万円なる金額に、固執する意思はなく、本訴を提起した主要な目的は、謝罪広告にあつたと考えられる。日本に於ては、英米法に於ける「名目上の損害賠償」なるものは未だ認められていないけれども、前段判示の原告の職業、経歴、被告の職歴、地位、本件論文が、原告の名誉を毀損した限度等、諸般の事情を斟酌すれば、被告が、原告に対して、慰藉料として支払うべき額は、三万円が相当であると考えられる。原告のその余の請求は、失当として、これを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九二条本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 鉅鹿義明 大塚正夫 近藤和義)

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